はじめに

 一九九二年秋、尾陽教会は新会堂の建堂式を祝いました。会堂建築の発議以来四十有余年が経過しております。
 この間、山本忠雄、よね両牧師を始め多くの教会に連なる兄弟柿妹の祈りと献げ物を覚え心より感謝と賛美の思いで一杯です。私達はモーセにひきいられたイスラエルが紅海を渡って四十年間荒野を行きヨルダン川を越えて約束の地に導かれた神を仰ぎつつ、尾陽教会の歩みを書きとどめておくことが教会の信仰の証しであると信ずるものです。
 教会の歴史を編集発行することも、既に何年も前から計画、実行に移されてきました。この教会史を発行するにあたり、編集の方針として二、三の留意事項をまず記しておきます。

  1. 尾陽教会の前身は「救世軍」という教派であり又、山本両牧師はともに「連隊長」という重任を負われていた先生であったので「救世軍」から日本基督教団の教会として、教会形成されてきた間の事情につき関係する方面の資料をもとに教会史を書き始めることにしました。
  2. 尾陽教会の創世の頃は山本先生の牧師館が教会であり、礼拝を守ってきた経緯を思うとき山本先生と教会員との交わりを中心として諸兄姉に原稿執筆を、お願いしました。
  3. 資料編として尾陽教会発足時よりの教会総会記録、長老会記録から重要事項を書き記しております。この資料の編集には山本先生時代に長年にわたって教会書記として奉仕されました加藤操子姉が関わって下さいました。
  4. 教会の歴史を留める多くの写真が集められましたが紙面の都合でその殆どを割愛せざるを得ませんでしたことは残念であります。
  5. 書き留めるべき多くのことがあり、又あの人この人におたずねしたいことも多くありましたが、とりあえず第一巻として本を出すことに努め拙速を恐れず出版することに致しました。

 六十有余年の歴史の中で、多くの先輩、同労の兄弟姉妹の交わりを感謝しつつ、ご協力をいただいた先生方、又兄弟姉妹に心よりお礼を申しあげます。
 尾陽教会の福音宣教の歩みは従来に変わらず前進して参ります。どうか覚えてお祈り下さいますようお願いします。
 尚、私たちはこの小史を尾陽教会を愛された山本忠雄、よね両先生にお捧げいたします。
山本先生はかねてより人間を偶像視することを固く戒められました。この小さな教会の歩みが、神の栄光をあらわす器として用いられることを祈るものです。

  一九九四年四月三日

日本基督教団尾陽教会長老会
牧師 都田 保羅
長老 大木  保
   倉地 利定
   大木  博
   寺本 憲夫
   野方  昇
   加藤 恵堅
   山本美奈子


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