第一部 教会史

七、現 在

教会堂建設完成

   

献堂式次第

日時 1992年10月11日(日)午後2時
司式 牧  師   都 田  保 羅
   奏  楽   竹 内  幸 子

前奏    
讃美歌 67  
聖書 旧約 歴代誌下6章1〜1、18〜21節 長老 大木 保
  新約 エフェソの信徒の手紙2章20〜22節
祈り   大木 保
献堂の辞   牧師 都田保羅
祈り    
説教 「聖なる神殿になる」
  日本キリスト教団名古屋北教会 牧師 柿沼敬一
祈り    
讃美歌 209  
祝祷   牧師 柿沼敬一
後奏
経過報告 会堂建築 長老 倉地利定
  会堂会計 長老 寺本憲夫
感謝状贈呈 T・A・設計室室長 鬼頭 忠雄様
  佐々木建設工業株式会社代表取締役 佐々木誠一様
祝辞 日本キリスト教団名古屋桜山教会 牧師 五月女昇一郎
金城学院中学校宗教主事 相沢 真喜先生
祝電   長老  野方 昇
挨拶   長老  大木 博

会堂建築経過報告

1948年頃
礼拝場所と牧師宅兼用の為、会堂建築の願い高まる。
1968年9月15日
臨時教会総会にて会堂建築十年計画が可決された。
1971年12月5日
臨時教会総会にて瑞穂区洲山町の不動産購入が可決された。
1975年10月5日  
上記へ教会を移転。
1978年4月16日
定期教会総会にて新たに建築用地取得が決議された。
同年8月22日
会堂建築委員会にて瑞穂区松園町の不動産取得を決議した。
同年10月1日
臨時教会総会にて洲山町不動産を売却、松園町の不動産取得、同地に仮会堂建築を決議した。
同年11月22日
新用地に仮会堂建築完成し、集会が行われる様になった。
1979年1月28日
臨時教会総会にて新用地に会堂と牧師館建設を目指すべく、総合的な計画を承認した。
1979年1月28日
この間の事業進展と資金調達については菅生昌利牧師のご尽力により、外部より多大なご支援を頂き感謝。
1985年4月28日
仮会堂建築七年目に借入金、融資金の返済完了。
1987年7月19日
臨時教会総会にて現在地にプレハブ式住宅を建て、牧師館とすることを決議した。
1991年8月20日
駒場町不動産売却の契約成立。
同年年9月29日
会堂建築委員会にて建築の具体化を検討。住宅展示場を見学し構造仕 様と業者の選定及び、見積り実施を決議。
同年11月10日
駐車場を含み三階建ての会堂の基本構想まとまる。
同年12月8日
臨時教会総会にて会堂建築の具体的推進を決議。牧師館の新築は募金状況を見て検討する。
費用見積り  会 堂 四千万円。
       牧師館 一千万円。
同年12月10日
T・A設計室に会堂設計を、佐々木建設工業に建築を発注。
1992年2月29日
建築委員会にて教会内外への募金趣意書発送を決める。
同年3月16日
会堂建築申請書及び建築資金借入申請書を中部教区事務所に提出。
同年3月22日
募金趣意書発送。
同年4月6日
仮会堂撤去。
同年4月19日
佐々木建設工業社長を迎えて、都田牧師による新会堂建設定礎式。
同年8月28日
新会堂完成につき引越し。
同年8月30日
新会堂にて最初の礼拝を行った。
同年10月11日
献堂式。

会堂建築決算報告

1987年7月20日〜1992年9月13日

収入の部 支出の部
教会員献金(繰越金含む)
外部献金(32件)
融資借入金
基本財産売却金
雑収入(利息他)
21,460,204
1,356,000
4,500,000
20,000,000
1,218,500
会堂建築費
会堂備品(椅子・一切・カメラ)
牧師館増築費
牧師館備品(食器棚・ガス器)
基本財産売却賞用
雑 費(郵税他)
準備金
40,199,000
2,264,872
4,120,000
330,000
709,000
22,570
889,262
合 計 48,534,704 合 計 48,534,704

会堂建築の歩み

◎1946年11月4日
日本基督教団尾陽教会は宗教法人の認可を受け下記の通り設立されました。
      集会場所 名古屋市瑞穂区駒場町四丁目六番地
      正教師  山本忠雄牧師
建物は第二次世界大戦中、名古屋空襲で熱田区沢上町の教会が全焼し、近くの瑞穂区駒場町に焼け残った長屋の一角平屋建の借家に山本忠雄牧師御一家は移られました。
◎1945五年8月15日
敗戦後、山本忠雄牧師、よね牧師は直ちに住居を開放され、伝道活動を始められました。当時は信徒の方々も疎開されたり出征されたまま消息不明となり最も困難な時代であったと予想されます。一九四八年家主より急に借家を退去されるか又は買取るかしてほしいとの申し出があり山本忠雄牧師御一家の私財を投じてこの借家を買い取られました。その頃には求道者も与えられ消息不明の方々も教会を訪ねて来られるようになり山本忠雄牧師、よね牧師は伝道の業に専心されました。併し教会は礼拝の場所と牧師宅兼用の為集会毎に建具を外したりのご不自由な生活が続けられ、その苦労は並々ならぬものでありました。そんな当時、クリスマスでの青年会祝会が行われ多勢が愉しく祝って居る最中に会堂の床が抜け落ちてしまったり、亦山本忠雄牧師が健康を害された時は、床を部屋の片隅に敷き乍ら、隣で礼拝を行うと云う状況等がきっかけとなり、山本両牧師の一大決心と御指導のもとに本格的に会堂建築に取り掛かることになり長老会、青年会も会堂建築の願いが高まり建設案が幾度か取り上げられて其の為の会合も行なわれました。
 ことに会堂建設場所は、瑞穂区内に建てて欲しいとの強い要望でありました。
◎1968年2月
山本忠雄牧師が主任担任教師を引退したいとの申し出があり長老会でこの件に関して慎重に討議され山本よね牧師のご協力を願ってそのまま慰留して頂くことを懇願しました。
◎1968年9月15日
臨時教会総会にて会堂建築十年計画について議され原案通り可決されました。
  予算 16,500,000円(土地100坪 建物50坪)
外部にも会堂建築趣意書と献金のお願いを同封して10月発送するに至り各教会、矯風会の方々より多大のご支援を頂きました。
◎1971年12月5日
教会員久保豊司子姉より親戚の方が瑞穂区洲山町土地建物を売却する意向との連絡があり臨時教会総会が開催され購入することに異議なく可決されました。(33.84坪=金額5,369,600円)建物付きで交通の便が良く駒場町に近い場所でした。
◎1972年7月19日
長い病床生活におられました山本忠雄牧師は夕ベの祈祷会の最中、教会員の讃美歌合唱の裡に静かに逝去されました(行年79才)。1942年8月日本基督教団より尾陽教会主任担任教師を任命されてより30年余現職者として牧会に献身されました。
◎1972年9月12日
日本基督教団より山本よね牧師主任担任教師として承認されました。
◎1974年11月15日
山本よね牧師突然の急病にて医師より高齢でもありこれ以上の激務は無理と診断され引退を決意されました。山本忠雄牧師と共に尾陽教会の牧会に30有余年献身されました。
◎1975年4月27日
代務者柿沼敬一牧師の紹介によって菅生昌利牧師主任担任教師として招聘する件につき教会総会にて異議なく可決されました。同時に駒場町宅は牧師宅とし礼拝堂を完全に移す事になりました。5月4日より洲山町家屋の改修に菅生牧師はじめ長老、信徒の奉仕活動が始められ真夏の炎天下を汗まみれになって作業が行われ9月28日完了し10月5日献堂礼拝が行われました。洲山町では3年間集会が守られてきましたが会堂建築には余りにも狭く周囲は住居が密集しており無理と判断されました。
◎1978年4月16日
教会総会に於いて新たに建築用地を確保することを決議されました。物件は瑞穂区内を条件に若尾不動産に依頼しました。以後数件の紹介の中から8月13日会堂建築委員会に於いて下記の用地に決定しました。
   場所 名古屋市瑞穂区松園町二丁目四番地
環境は閑静な住宅地にあり一同神様の導きによるものと感謝しました。顧みれば1968年9月に10年計画をたてて以来1978年10月に至る10年目にして最後の会堂建築の場を与えられました。唯、残念なことは9月に長い間、長老として忠実に献身されました竹内英雄長老が突然脳内出血で一夜にして逝去されたことでした。
◎1978年10月1日
臨時教会総会開催
     1、基本財産設定に関する件
        所在地  瑞穂区松園町2-4 土地87.45坪
        用地価格 33,668,250円(坪385,000円)
        仮設会堂  3,500,000円
        諸経費   1,608,000円
        計     38,776,250円
     2、基本財産処分に関する件
        売却物件 瑞穂区洲山町1-38-7(土地33.84坪)
        売却価格 15,228,000円(坪450,000円)
◎1978年11月22日
 新用地に仮会堂建築完成し最初の集会が水曜日の聖書研究会、祈祷会より出発しました。
◎1979年1月28日
臨時教会総会開催、仮設会堂を本建築とする事及び牧師館の完成を目指して総合的な計画を承認しました。
この事業を外部の方々にも訴え趣意書を送り援助をお願いすることになりました。
◎1979年11月18日
趣意書を全国各教会宛発送しました。
以来3年間の内に外部より251件にのぼる各方面からのご支援を頂き多くの皆様の厚いお祈りの内にあることを覚えて深く感謝し大いなる励ましをうけました。
資金調達に関しては菅生牧師のご健闘によって各方面に融資を依頼され牧会以外のご苦労は図りしれないもので私共の力不足を補って頂いた事は忘れ難いものでありました。
◎1985年4月28日
松園町用地購入資金及び仮設会堂建築の為の借入金は7年目にして返済され、ご支援を頂いた皆様に対し心から感謝の意と共に会計報告を同封し発送を完了しました。(外部献金者数268件、融資献金者16名)
◎1985年12月5日
尾陽教会名誉牧師山本よね先生は東京の病院にて療養中でしたが逝去されました(行年88才)。
◎1987年2月1日
菅生昌利牧師より主任担任教師辞任の申し出があり固い決意でした。3月22日臨時教会総会を経て5月31日辞任されました。尾陽教会にて12年聞牧会と会堂建築のため心身共に献身されましたことは教会員一同忘れ難く心から深く感謝しております。
◎1987年7月19日
臨時教会総会開催、柿沼敬一牧師の紹介によって日本キリスト教団阿漕教会村本新日牧師招聘する件につき議され可決しました。
村本新日牧師の要望で牧師館は駒場町でなく教会敷地内にとのことで急速会堂裏地に住宅(9坪、金額350万円)を建築することになりプレハブ式住宅を依頼し8月30日完成しました。
当日村本牧師御一家入居されました。
◎1990年6月17日
臨時教会総会開催、村本新日牧師は日本キリスト教団高岡教会より聘をうけられ尾陽教会主任担任教師を辞任されることになりました。
以来名古屋北教会の柿沼敬一牧師始め諸先生の応援を得て無牧の間、集会を無事に守ることができ一同が恵まれたことは感謝に絶えません。
その間現在の牧師館では手狭なため新任牧師招聰に当たって新築の方向で協議が重ねられ旧牧師館駒場町の土地を売却のため1990年12月不動産業者(新星和)に依頼しました。
◎1991年8月20日
駒場町土地を2000万円にて売却の契約が成立しました。
◎1991年12月8日
臨時教会総会開催、代務者柿沼敬一牧師より紹介の堺川尻教会牧師都田保羅先生の招聘について議され可決されました。就任は1992年4月と決まりました。
牧師館新築の案については都田牧師の提案により現在の仮会堂の新築を先に具体化することになりました。
◎1992年2月29日
会堂新建築に当たって資金計画がなされ再度会堂建築募金の趣意書を中部教区内教会、長欠者信徒、他府県転籍者信徒の方々に送り協力をお願いしました。
     会堂本建築及ぴ牧師館改修工事一式 5,000万円
◎1992年4月5日
都田保羅牧師就任され仮会堂に於いて最後の礼拝を守り、六月より取り壊し作業が始められました。
都田牧師には工事中牧師館において礼拝を守られる為、一長老の持ち家に一時仮住まいして頂くことになりました。
◎1992年4月19日
定礎式、都田牧師の司式によって行われ工事請負業者佐々木建設工業社長及び工事担当者、教会員が列席し行われました。
◎1992年8月25日
会堂本建築竣工予定。
◎1992年9月中
牧師館増築工事着工予定。
◎1992年10月11日
柿沼牧師司式により献堂式の予定。
◎1992年11月中旬
牧師館増築竣工予定。

以上が今日迄、私達が歩んで来ました経過であります。
此の間には、インフレあり、列島改造論による土地、物価の上昇あり、オイルショックによる物価の上昇あり等々、皆、口には出しませんが、不安な気持ちになった事も事実でありました。併しそんな時にあっても月に一回、礼拝後に、会堂建築の為の祈祷会を今日迄約三十年続けそして現在は狭い牧師館の二室で、一日、一日と完成に向かって居る新会堂を見つめ乍ら礼拝を守り、会堂を与えられた喜びと、信仰の確かさを、人一人が実感として与えられつつ、感謝の日々を送って居ります。
  一九九二年六月

                  加藤操子

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