救世軍熱田小隊

尾陽教会は1926年(大正15年)、救世軍熱田小隊として発足した。しかし、当時の記録は戦災で建物と共に消失してしまったので、私たちの手元には残されていない。残っているのは戦後、宗教法人法に基づく宗教法人を設立した時に山本忠雄牧師が記された書類と、教会員原簿(おそらく記憶を辿りながら書き記したであろうもの)である。従って以下に記す戦前の部分については資料のほとんどを「救世軍名古屋小隊九十年史」に負っている。救世軍名古屋小隊もまた戦災で古い資料を失っており、「九十年史」の編纂にはたいへん苦労された。これからたどる尾陽教会の戦前の歴史は救世軍の方々の労のおかげで明らかになったことを記し、感謝を表したい。 
 また熱田小隊に任命を受けた歴代士官の表は山室軍平記念救世軍資料館の朝野館長たちにお骨折りをいただいたものである。併せて感謝を表したい。

  1. 名古屋における救世軍の活動は明治38年に始まった。9月15日大将特使レイルトン少将が久屋町の美以教会(Methodist Episcopal)すなわち現在の日本キリスト教団名古屋中央教会で大集会を催したのが名古屋での最初の救世軍の集会であった。翌明治39年2月には名古屋小隊開戦(設立)となった。
  2. 1924年(大正13年)3月、司令官イーディー中将が巡回。10月山本忠雄大尉が名古屋小隊長に。1926年(大正15年)1月高橋大尉が名古屋小隊長に。
  3. 同年夏、名古屋に4つの新しい小隊の開戦。名古屋西小隊、車道小隊、御器所小隊、熱田小隊である。熱田の小隊長は有賀静雄見習大尉、副官は河合光治少尉であった。この人事は8月1日の救世軍公報にある。ところが河合光治氏は名古屋小隊九十年史に「熱田小隊(開戦)の副官として、大正15年6月から昭和2年6月まで」と記している。そして「救世軍日本開戦百年記念写真集」によると名古屋の4小隊開戦は7月6日となっている。ちなみに山本忠雄牧師が宗教法人設立のために書いた書類には11月1日と記されており、11月1日が日本基督教団および県庁に登録された尾陽教会の創立記念日となっている。
  4. 大正15(1926)年10月26日、二代目総督ブラムエル・ブース大将来日、名古屋駅前には市長、金城女学校、名古屋中学の生徒など2000人が出迎えた。27日午後、青年会館にて東海道連隊の兵士会(出席101名)、夜は御園座にて大集会を行い、3,000人が詰めかけ、恵みの座に進み出た者が160名あった。
  5. 昭和2(1927)年5月 大人部、青年部合同で大高の見市特務曹長宅へ遠足(参加者70名)。
  6. 昭和4(1929)年8月20日 創立者(W.ブース)召天の記念日。夕方、内田橋のたもとで野戦。
  7. 昭和5(1930)年5月2日 東京より岡村特務曹長、当小隊に出陣。
  8. 昭和6(1931)年8月11日 名古屋全小隊連合修養会(53名)。
  9. 昭和11(1936)年9月1日関東大震災記念集会、夜は救霊会(連隊主催 )
  10. 昭和14(1939)年7月15日 本営人事相談部主任中井少佐、熱田小隊に出陣、回心者7名。
  11. 1940年(昭和15年)7月、山本忠雄少佐は東海道連隊長として名古屋に戻って来られた。そして教会合同のために諸教派の牧師たちと労された。この時期はまた救世軍にとっては辛い時期であった。救世軍機関紙「ときのこえ」は9月1日号から「日本救世新聞」と改題し、今後ロンドンの万国本営と関係なく進むことを表明している。8月から名称を救世軍から救世団へ変えた。連隊は地区本部(教区)、小隊は支部となった。士官は教師、下士官は役員、兵士は団員と名称が改まった。
  12. 昭和16年1月、連合の初野戦。1日熱田支部、2日中央支部、3日大曽根支部の担当。
  13. 昭和16年3月、それまで連隊長=教区長専任であった山本忠雄教師は大曽根支部長をも兼ねることになった。
  14. 昭和16年6月24日〜25日、東京の富士見町教会において34教派が参加して、日本基督教団創立総会が開催された。救世団はその第11部となった。
  15. 昭和16年11月16日 秋元編集部長、静岡、熱田、大曽根へ出陣。
  16. 昭和16年11月19日 大曽根教会で山本忠雄牧師司式のもと士官の按手礼式が行われた。
  17. 昭和16年11月24日 日本基督教団認可。翌25日、2881名の教師に任命辞令交付。
  18. 熱田小隊と共に開戦した他の3小隊は、この頃までになくなっていた(西は昭和4年、車道は昭和7年、御器所は昭和11年の任命が最後である)。代わりに昭和4年から大曽根小隊がスタートしていた。名古屋中央小隊(旧名古屋小隊)も昭和15年の任命を最後に大曽根と統合されて新しい名古屋小隊となっている。日本基督教団になった時点で名古屋の救世団は大曽根、熱田の2つであった。
  19. 昭和17年4月、旧熱田小隊は尾陽教会と名を改めた。
  20. 昭和17年7月、大曽根教会山本忠雄牧師夫妻は尾陽教会に転任。
  21. 昭和20年4月7日、空襲により大曽根教会、尾陽教会共一切を焼失。大曽根教会は山本牧師の後任者である松永昂牧師が、区役所に勤務しながら自宅を教会として牧会。尾陽教会は瑞穂区の民家を借りて山本牧師の住居兼会堂とした。
  22. 昭和21年9月22日 東京・神田公会堂にて救世軍再建発表会が行われ、植村少将が司令官に就任した。大曽根教会は救世軍再建と共に救世軍に復帰した。しかし会館の再建は昭和28年河合光治上級少佐(熱田小隊初代の副官)の着任まで待たなければならなかった。一方、尾陽教会は再建された救世軍に加わらず、日本基督教団に留まった。
歴代小隊長・副官
  小隊長名 任命日 離任 副官名 任命日 離任
1 有賀静雄見習大尉 1926(T15)/6/28 1927(S2)/6/ 河合光治少尉 1926(T15)/6/28 1927(S2)/6/
2 佐渡龍一中尉 1927(S2)/6/13 1928(S3)/12/ 山田清次郎少尉 1927(S2)/6/13 1928(S3)/6/
        鈴木聯治中尉 1928(S3)/6/ 1928(S3)/12/
3 梅津大尉(女性) 1928(S3)/12/ 1929(S4)/6/ 植村ミツエ少尉 1928(S3)/12/ 1929(S4)/6/
4 植村ミツエ中尉 1929(S4)/6/ 1929(S4)/12/ 佐藤久子少尉 1929(S4)/6/ 1930(S5)/6/
5 岸タツ大尉 1929(S4)/12/ 1931(S6)/6/      
        畑ナツコ少尉 1930(S5)/6/ 1931(S6)/6/
6 松葉総一郎大尉 1931(S6)/6/ 1932(S7)/6/ 松葉ユリ 1931(S6)/6/ 1932(S7)/6/
7 今ヤエ大尉 1932(S7)/6/  1932(S7)/9/ 神山エイ中尉   1932(S7)/6/ 1932(S7)/11/
8 畑ナツコ大尉 1932(S7)/9/  1932(S7)/11/
9 佐々木喜助少校 1932(S7)/11/  1934(S9)/6/ 佐々木捷子(かちこ) 1932(S7)/11/ 1934(S9)/6/
10 斎藤ため少校 1934(S9)/6/ 1935(S10)/6/ 星野たけ大尉 1934(S9)/6/ 1935(S10)/2/
11 大村静子中尉 1935(S10)/6/  1935(S10)/11/ 渡辺ツル少尉 1935(S10)/7/ 1935(S10)/11/
12 伊藤二郎中尉 1935(S10)/11/ 1936(S11)/6/ 松井一男少尉 1935(S10)/11/ 1936(S11)/6/
13 斎藤龍一中校 1936(S11)/6/ 1938(S13)/6/ 斎藤トク 1936(S11)/6/ 1938(S13)/6/
14 石田忠義大尉 1938(S13)/6/ 1940(S15)/7/  −  −  −
15 中野フサ少佐 1940(S15)/7/ 1941(S16)/4/ 岡美智子少尉 1940(S15)/7/ 1940(S15)/11/
         福武稔子教師補 1940(S15)/11/ 1941(S16)/4/
7月13日には「補東海道連隊長 山本(忠)少佐」という辞令があるが、その歓迎会は8月4日に「山本地方部長歓迎会」として行われた。8月から「救世軍」は「救世団」に改称したからである。熱田小隊は熱田支部に、小隊長は支部長に、中野少佐は中野教師となった。
16 高垣佳枝教師 1941(S16)/4/  1941(S16)/5/      
1941年6月24〜25日富士見町教会で日本基督教団創立総会。当初は参加34教派を11の部に分け、救世団は11部となった。入れ物は教団になったが、中身は旧教派で行こうということだ。旧救世団の教会の人事などはすべて旧救世団で行っていた。
17 大部藤之丞教師  1941(S16)/7/ 1942(S17)/7/ 大部幸子 1941(S16)/7/ 1942(S17)/7/
1941年11月24日日本基督教団認可。25日教団教師2881名の任命辞令交付。それまでに救世団教師は教団正教師の按手を、救世団教師補は教団補教師の准允をうけた。従って大部夫妻が日本基督教団尾陽教会の初代牧師である。

小隊長・副官の生年月日、出身小隊など

氏名 生年月日 出身小隊 士官学校 その他
有賀 静雄 1905/5/10 尾道 21期 初代小隊長
河合 光治 1905/8/8 浜松 21期 北陸へ転任、後再び名古屋へ。
佐渡 龍一 1902/3/3 神奈川 21期 下関から熱田へ
山田清次郎 記載なし 京都 22期 後に参謀楽隊の楽長
鈴木 聯治 記載なし 神田 22期 大宮から熱田へ?
梅津 記載なし 記載なし 記載なし 後に本営家庭団部付
植村ミツエ 記載なし 記載なし 記載なし  
佐藤 久子 記載なし 本郷 24期  
岸  タツ 1902/8/20 神田 20期 後、横田タツ
畑 ナツコ 記載なし 鶴橋 24期 後、金井ナツコ
松葉総一郎 記載なし 麻布 22期   
松葉 ユリ   熱田 24期 旧姓丸山
今  ヤエ 記載なし 函館 24期 後、徳永
神田 エイ 1906/4/23 前橋 25期  
佐々木喜助 1892/5/28 横浜 16期  
佐々木捷子 1905/7/28 深川    
斎藤 ため 1906/2/15 沼津 27期  
星野 たけ 1906/5/18 前橋 25期 岐阜へ転任。後に清瀬病院婦長
大村 静子 1909/3/15 不明 不明 後、山室披佐義と結婚。沼津大岡教会
渡辺 ツル 1905/11/26 千駄ヶ谷 30期  
伊藤 二郎 1927/2/28 本所 28期  
松井 一男 1916/1/10 小樽 30期  
斎藤 龍一 1895/9/25 静岡 18期  
斎藤 トク 1894/1/30 岡山 14期  
石田 忠義 1909/12/1 札幌 28期  
中野 フサ 1908/12/18 大連 21期
岡 美智子 1917/5/20 倉敷 35期 美知子としている書類もある
福武 稔子 1921/11/21 倉敷 35期 現姓竹花。唯一健在
高垣 佳枝 1915/2/6 神戸 31期 岐阜から熱田へ
大部藤之丞 1892/11/7 静岡 18期 清瀬へ
大部 幸子 記載なし 広島 22期 同上
山本 忠雄 1894/3/3 名古屋 12期 大曽根から
山本 よね       同上

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