第一部 教会史

六、無牧の時代

尾陽教会では無牧の時代を三回経験致しました。それは教会にとっても私達教会員にとっても大きな痛みを伴っものであります。 併し神の大いなるご恩寵によって私達はその都度、名古屋北教会牧師柿沼敬一先生が代務者として教会を守って頂き、 中部教区の諸先生によって礼拝説教を通し励ましとご支援を頂き、より豊かな恵みをうけることが出来ました。 慈に心に深く覚えて感謝申し上げます。長老会、教会員一同がこの恵みに応えるべく却って結束を固くしてきたと思っております。

山本牧師時代から会堂建築を決意して以来、四十年余りを経て漸く新しい土地に新会堂を建築することが許されました。 無牧の困難な時代をほんとうに多くの諸先生のご指導のあったことを覚え、 こゝにそのお名前を記して感謝の意を表わさせて頂きたいと存じます。

   第一回無牧の時代
     一九七四年十一月〜一九七五年四月
     代務者 柿沼敬一牧師
     礼拝説教 柿沼敬一牧師、上河原雄吉牧師、原 栄作先生
   第二回無牧の時代
     一九八七年六月〜一九八七年八月
     代務者 柿沼敬一牧師
     礼拝説教 柿沼敬一牧師、原 栄作先生、相沢眞喜先生、志村信夫牧師、山畑 謙先生
   第三回無牧の時代
     一九九〇年八月〜一九九二年三月
     代務者 柿沼敬一牧師
     礼拝説教 柿沼敬一牧師、眞山光弥先生、河野言使先生、笠井健一先生、相沢眞喜先生、
          原 栄作先生、杢尾忠子先生、堤 健生先生、小池磨理子先生、加藤久雄牧師
          長谷川洋介牧師、鳥羽和雄牧師、鳥羽徳子牧師          (順不同)


生ける神に希望を置く

−無牧時代の長老会−

金城学院高等学校 宗教主事 相澤 眞喜

牧会書簡といわれているテモテヘの手紙一の四章十節に、「わたしたちが、労苦し奮闘するのは、すべての人、 特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。」とあります。

 この手紙は、使徒パウロが若き伝道者テモテに宛てて書かれたものです。四章六節-十八節に新共同訳では、 「キリスト・イエスの立派な奉仕者」という見出しがついています。テモテが入信の時、使徒パウロから伝えられた 福音の言で常に養われ、キリスト・イエスの立派な奉仕者であるようにと教えています。 特に、福音のために労苦し、奮闘するのは、「生ける神に希望を置いているからです」と励ましています。 この聖句は、無牧時代の長老会にふさわしいみ言だと思います。

尾陽教会は、一九八七年六月から一九九二年三月までの五年間に二回の無牧時代がありました。 しかも一九九〇年から一九九二年三月までは、二年間という長い無牧の時代でした。教会員の方々、 特に長老会のご苦労は如何計りであったかと察して居りました。無牧の間、名古屋北教会の柿沼敬一牧師が代務者となられました。 私は、教務教師として名古屋北教会に出席させていただいている関係で、毎月一回尾陽教会の礼拝説教のご奉仕をさせていただきました。 私は、伝道者として召され、キリスト教主義学校で、み言を語る使命を与えられていますが、 いつも教会から遣わされているという自覚をもっていたいと願っています。

それは、キリスト教主義学校の使命は、教会とのよき協力と連携によってなされるからです。 従いまして、地域の教会にご奉仕させていただくということは、光栄であり、教会と学校との相互理解を深めるよい機会であるからです。 そう言う意味で、私が無牧の間ご奉仕させていただいたことは、感謝です。

日曜日の朝、教会学校の生徒たちが分級をしている頃うかがうと、生徒たちの様子もわかりました。 そして生徒たちは学校で会うと、「先生、今度はいつ尾陽教会に来てくださるのですか」と声をかけてくれました。 また、長老の方々は、教会にいらっしゃるとすぐご挨拶に来てくださいましたし、加藤操子姉にはいつも暖かいお持て成しを いただき嬉しく思っています。

私がご奉仕する第三日曜は、礼拝後に婦人会、壮年会の例会がありますので、それにも参加させていただきまして、 教会員の方々ともよい交わりの時を与えられました。 一月の「餅つき会」は、名古屋北教会の青年たちも押掛けて来て、つきたてのおいしいお餅をたくさんいただいたことは、 楽しいよい思い出となっています。

無牧の問、長老会の方々はそれぞれ責任を分担なさっていましたが、週報の準備のために寺本憲夫長老は、 よくご連絡をとってくださったことを改めて感謝申し上げます。 更にこの無牧の間、大木保長老と倉地利定長老が中心となって、牧師招聘と会堂建築という大事業に取組みましたことは、 尾陽教会の信仰のすばらしい証してあります。私は、うかがう度に、「労苦し、奮闘している」ご様子を知りました。

教会のご奉仕は、どんなに困難で苦しいものであっても「生ける神に希望を置いている」限り、必ず嘉みされます。 しかも「生ける神」は、「信じる人々すべての救い主」であります。「生ける神」は、ご奉仕するひとりひとりを用いて 教会の使命である福音宣教の業をなしてくださいます。

尾陽教会の方々、特に長老会の方々は、無牧の時に「キリストの外なる教会」を愛する恵みを与えられたことを感謝し、 これからの信仰生活、また教会形成のために益としてくださるようお祈り申しています。


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